読書

思想全集を読破するという読書法

2021年4月4日

教養を学ぶ意義

ついつい忙しいと、早く読み終わる本、簡単に理解できる本を読みがちになってしまう。個人的にもそうだし、世の中の多くの人はそうなのではないか。だから、簡単に教養が身につくことをうたう本がよく売れているらしい。

しかし、教養とはそう簡単に身につくものなのだろうか。そんなに簡単に身につく教養に意味があるのだろうか。そもそも、教養の意義とは何なのだろうか。

非常に簡単に言えば、教養とは普遍的な価値を持つ人類の知的遺産のことではないだろうか。普遍的であるため、すぐには役立たなくとも、人生全体の長い時間の中で確実に役に立ってくる。普遍的であるため、自らのよって立つ立場、視点、価値観、身を置く社会を相対的に捉えることができる。その結果、よりよい人生を歩むことができる、そういうものが教養ではないか。

したがって、教養を身に付けるには、単に知識を「インプット」するだけではなく、自分の身に付けてきた価値観や文化を疑っていくプロセスが必要であるし、そのためには、長い時間をかけて学び続けなければならない。

思想全集を通読する

このような考えから、自分が生まれるよりずっと前に出版されたいくつかの「全集」と言われるような本を読むことにした。
具体的には『人類の知的遺産』全80巻、『世界の名著』全81巻、『日本の名著』全50巻などである。
これらは、過去の偉人が執筆した書物の原著そのものではないものの、専門家が解説をつけて初心者にもわかるように書いた名シリーズである。

戦前から戦後にかけて、日本では「円本」ブームをはじめとした全集ブームが起きた。多くの一般庶民の家で、決して安くはない百科事典や全集が購入され、応接間に置かれたという。平成生まれの自分にとっては、まったく実感のないブームだが、それほど、教養の価値が自明のものとされた時代があったのだろう。

『世界の名著』は1966年から、『人類の知的遺産』は1978年から出版されたらしい。すでに40年から50年以上も前であり、それ以降、思想全集のようなシリーズは出版されていない。現在の出版業界では、これほど大きな企画は難しいのだろう。

そのため、これらの思想全集は、現代では古本でしか手に入らない。しかし、40年以上も前の古書であり、多くの家庭で買われたため、全巻で4~6万円程度で手に入る。1冊当たり数百円で、学生でも購入可能な価格帯である。

質の高いシリーズが安く手に入るのだから、一般庶民の私でも挑戦することができる。そこで、まずは『人類の知的遺産』から読み始めることにした。

みんな思想全集を読んだ方が良い

冒頭でも書いたように、近年は簡単に手に入る教養が主流である。世の中が功利的、合理的になり、教養とは何かという問いが十分に問われないまま、他者との差別化のためにより早く、より簡単に身につく知識が好まれているのだろうとは思う。

こんな風潮の中「思想全集を通読しよう」という主張は、大変時間のかかる非効率な試みであるととらえられるだろう。

しかし、このような世の中だからこそ思想全集の通読のような読書に価値がある。

人間社会における多くの問題は、すでに過去の歴史の中で登場しているし、その時代の碩学によってすでに考え尽くされている。現代にどれだけ新しい変化があったとしても、過去の歴史の繰り返しであるともとらえられる。

したがって、過去の思想を学ぶことで、時代の流れに流されず自分の頭で考えて、自分の価値観を築き、自分の人生を歩むことができる。

「興味のある思想家の本だけ読めばいいじゃないか」という考えもあり得るが、思想全集は自分の興味を超えて読める、という点に大きな魅力がある。

興味というのは、自分のわずかな人生の中で触れた知識や体験から芽生えるものであるため、対象は非常に限られる。その興味に従って本を選べば、「読まなくてよかった」という失敗は避けられるかもしれないが、興味を超えた新たな出会いや、自分の思想と合わない反対意見との出会いもない。これが、思想全集を全部通読する、という読書法にある最大の魅力であると思う。

現在は、思想全集の通読の準備として、『世界の歴史』(中央公論)の全30巻を読んでいる。この読書によって得られたことやそれぞれの本の内容について、少しずつ記事にしていきたい。

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