何がしたいのか分からない、何を感じているのか分からない
「何が食べたい?」と聞かれても答えられない。「最近どう?」と聞かれると固まる。疲れているはずなのに気づかず、限界まで走って突然倒れる。
こうした「自分が分からない」という感覚は、怠けでも甘えでもなく、神経レベルで起きている「回線の遮断」として理解できます。
「自分を感じる」ための脳の場所:島皮質
脳の深部に、島皮質(Insula)という部位があります。島皮質は、心臓の鼓動、腸の動き、呼吸の深さ、筋肉の張り、体温の変化など、全身から送られてくるバラバラの生理的信号を統合し、「今の私はこういう状態だ」というひとまとまりの感覚を作り出しています [1]。
この統合された身体感覚こそが、「私がここにいる」「これは私の体だ」という自己所有感(Sense of Ownership)の源だと考えられています。
つまり、「私らしさ」や「自分の感覚」は、頭の中の思考ではなく、体の内側から送られてくる情報を島皮質が統合することで生まれているのです。
感情の「材料」は体にある
私たちは「脳で悲しいと思うから涙が出る」と考えがちですが、生理学的な順序はむしろ逆です。
体の変化(呼吸が浅くなる、胸が締め付けられる、涙腺がゆるむ)が先に起き、その身体変化を島皮質がキャッチし、「これは悲しみだ」と名前をつける。感情の構成に関する研究でも、脳は体の内部状態を元に感情を「構成」していることが提唱されています [2]。
体からの原始的な快・不快の信号が、あらゆる感情の土台になっているということです。
なぜ「自分が分からなくなる」のか
長期間のストレス、過剰適応、幼少期の感情抑圧などによって、人は生存のために内受容感覚の回路を意図的に遮断することがあります。「体からの通知をオフにする」ようなものです。
長期化すると以下の問題が起きます:
- 何を感じているか分からない:体からの快・不快の信号が届かないため、感情の「原材料」がない。自分が怒っているのか悲しいのか判別できなくなる(アレキシサイミア傾向)
- 何がしたいか分からない:「やりたい」という衝動は身体感覚(ワクワク、胸が躍る)が基盤。その感覚が遮断されていると、「何がしたいか分からない」のは当然の帰結
- 限界に気づけない:疲労、空腹、痛みの警報が鳴らないため、ギリギリまで走り続けて突然倒れる
内受容感覚とアレキシサイミアの関連を調べた研究でも、自分の感情を識別することが困難な人は、心拍の検出精度(内受容感覚の客観的指標)が低い傾向が報告されています [3]。
JINENのアプローチ:感覚の回線を「つなぎ直す」
JINENボディワークでは、「自分を見つける」作業を思考ではなく身体から行います。最も重要なポイントは段階の設計です。
段階的なアプローチ:
1. まず物理的な刺激から始める:自分の手で太ももを軽く叩く、床の硬さを確認する、冷たいペットボトルを握る。微細な感覚はハードルが高すぎるので、誰でも必ず感じられる「強い感覚入力」から回線を開通させる
2. 重さと境界線を感じる:仰向けで「床と接している背中の面積」を感じる。「ここまでが自分の体だ」という輪郭を脳に認識させる作業
3. 温かさを探す:手をお腹に当て、手のひらの温かさだけを感じる。安全信号を内側から送る
4. 微細な感覚へ移行:心拍の感覚、呼吸によるお腹の膨らみ。ここまで来て初めて、本格的な内受容感覚のトレーニングになる
指導上の注意:「感じないこと」を否定しないことが最も大切です。「今は何も感じないなぁ、という状態をただ観察してください。それ自体が立派な内観です」と伝えるだけで、受信チャンネルが少しずつ開いていきます。
「自分が分からない」のは、あなたが鈍いからではない。脳があなたを守るために、感覚のスイッチを切ってくれていた。 JINENのワークは、もう安全な場所にいるのだから、そのスイッチをゆっくり戻していいよ、と体に伝える作業なのです。
参考文献
1. Craig, A. D. (2009). How do you feel — now? The anterior insula and human awareness. Nature Reviews Neuroscience, 10(1), 59–70. DOI
2. Barrett, L. F. (2017). How Emotions Are Made: The Secret Life of the Brain. Houghton Mifflin Harcourt. Google Scholar
3. Murphy, J. et al. (2018). Is alexithymia characterised by impaired interoception? Further evidence, the importance of control variables, and the problems with the Heartbeat Counting Task. Biological Psychology, 136, 170–177. DOI