私が子供のころは「ゲームは子供の教育上、害になる」と言われていました。
同じく、ネットについても「有害である」「知力を下げる」と耳にしたことも少なくありません。一方で、ネットの活用は記憶をアウトソーシングでき、その分人間の創造的な能力を高めることができると言われることがあります。
いったい何が正しいのでしょうか?
そんな疑問に答えてくれるのが『ネット・バカ』です。
この本は2010年に出版された本ですが、内容は現在でも十分通用するどころか、もっと重要度が増しているように思います。
ネット批判側の主張が強いようにも感じましたが、しっかり読めばその理由がよく分かります。
「ネット・バカ」にならないためにはどうしたら良いのか。この本を読んで考えたことを書きました。
人間の脳は「可塑的だが弾力的ではない」
『ネット・バカ』では、ネットに常時接続しネットに依存した生活を送ることが、現代人の脳の使い方を変化させていること、簡単に言うと現代人の脳を「バカ」にしていることを指摘し、警鐘を鳴らしている本です。
ネットの脳への影響について説明する前に、脳の特徴について知っておかなければなりません。
そもそも、人間の脳は非常に可塑的なものなのだそうです。
可塑的とは「変化しやすい」ということですね。そのため、外部の影響によって機能面どころか構造的にも変わってしまう。
しかし、可塑的とは言え常に変化しやすいというわけではないそうです。特定の回路ができたあとは変化しにくく、それが習慣ができるメカニズムになっているのです。
可塑的だが弾力的ではない。
このような特質を持っているため、ネットへの常時接続が当たり前になった現代では、ネットの影響を受けて脳の性質も変えられてしまうのだと著者は主張します。
ネットへの常時接続と脳への負荷
では、ネットの何が脳を変化させるのか。
その一つが「注意力を散漫にさせること」です。ネット(やネットに接続する媒体)には、メールやSNSからの通知、視界に割り込んでくる広告、文章中に張られたリンクなど、私達の注意力を散漫にさせる様々な仕組みがあります。
もちろんこれは、私たちの生活を便利にしてくれたものではあります。
しかし、これらの絶え間ない主張によって、私たちは常に注意力を削られ、一つのことを没頭して考えたり、何にも邪魔されずに知的な生産活動をしたりすることが難しくなりました。
ネットに接続するほど、注意力散漫になるのです。
また「常に情報がアップデートできる」ということから、執筆を生業にする人々にとっても変化が現れたそうです。
それは、常にアップデートできることから締め切り意識がなくなり、厳格な態度で執筆に臨むことができなくなった、ということです。その結果、表現力や内容が劣化した人も少なくないと言います。
また、ネットの文章はブログやSNSなど断片的で短文のものが多いため、より長い文章を考え、書くことからはほとんどの人が離れています。これも、ネットによる人間の知的な活動への悪影響です。
ネットが与える脳への負荷
ネットを使うことは、人間の認知活動を活発にしてくれるという主張もあるそうです。しかし、著者は言います。その考え方は間違いだと。
認知的負荷を高めることは、問題解決能力を高めない
確かに、ネットを利用している時に、人間の脳は広範囲を活性化させるそうです。なぜなら、ネットは脳に絶え間ないインプットを与え続けるため、脳に強い負荷がかかるためです。
確かに、このような負荷は老人の認知症予防などには効果があるそうです。
しかし、脳への刺激にはなっても、それが脳の知的な能力を上げるわけではありません。なぜなら、単純な刺激への反応に脳のリソースが割かれるためです。
むしろ、深い集中力や問題解決能力を高めるためには、ネットで活性化する部分(前頭葉)を沈めることが大事なのだそうです。
ネットで文章を読む時に起こっていること
ネットの文章(ハイパーテクスト)を読む時に、実際に脳に起こっていることを見てみましょう。
ネットの文章にはたくさんのリンクが張られています。そのため、脳は、読みながら常に「どのリンクをクリックするか」という判断に迫られています。この時、脳には「切り替えコスト」という負担がかかっています。「読む」から「判断」へ、また「判断」から「読む」へと常に注意を切り替えているからです。
この「切り替えコスト」によって常に思考が妨げられているのです。
しかも、このようなネット上での「切り替え」に脳が慣れてしまうと、ネットをしていない時も、同じように注意力散漫になるそうです(脳は可塑的だから!)。
すると、あらゆることに気をそらされるようになり、情報の分別には慣れていっても、問題解決能力や深い集中力は失ってしまうそうなのです。
ちょっと恐ろしいことですよね。
こうした傾向は、Googleの登場とその活動の発展、生活への浸透によって強化されていきました。
Googleの登場後の人間の脳の変化
Googleは、世界のすべての情報をデータベース上に入れてしまおうという野望を持っているそうです。
そんなGoogleが登場してからは、あらゆる関心事、あらゆる関連することが手に届く所に置かれるようになりました。その結果、人間は処理できない膨大な量の情報にかこまれ、情報を絶えず読み取り、分別し続けなければならなくなったのです。
その結果、人間の「記憶」に重大な影響を与えた、と著者は主張します。
そもそも、人間の記憶には「短期記憶」と「長期記憶」があり、短期記憶から長期記憶への移行には時間がかかります。そのため、長期記憶になりきる前に、別のことに注意を向けさせられると、記憶が定着しなくなるのです。
つまり、人間は経験したことを記憶しにくくなっているのだそうです。
しかし、現代では、
「記憶はコンピュータ、ネットに肩代わりさせれば良いから、脳は記憶のリソースから解放され、思考のみに集中できる」
と言われることがありますよね。これにも、著者は反論します。
そもそも、長期記憶と短期記憶は別のシステムであり、長期記憶をアウトソーシングしても、短期記憶をあけることにはならない。短期記憶をあけることにならなければ、思考にリソースを割くことにもならないということなのだそう。
むしろ、人間は想起するたびに脳を変化させ、それが想像力の源になっているそうです。
そのため、長期記憶を豊かにする(長期記憶には、実質限界がない)ことが知性を強化することになる。
そのためコンピューター、ネットに記憶をアウトソーシングすることはそもそも意味がないし、それどころか、ネットの注意力を散漫にさせる効果によって長期記憶の固定化が邪魔され、想像力の基盤を削られてしまうことにすらなる。
これが、Google登場後に起こっている人間の脳への影響なのだそうです。
さらに付け加えると、人間の「感情」にも影響があるそうです。
人間の深い感情は、刺激からある程度の時間が経たなければ生まれません。そのため、注意力が散漫になると共感、同情といった深い感情を感じることすらなくなる。つまり、人間性を失うことにも繋がってしまいます。
創造的な思考力どころか感情まで奪ってしまうのであれば、何らかの対策が必要ではと思います。
まとめ:それでもネットから離れた生活はできない
とは言え、私たちはネットから完全に離れて生活することはできません。仕事も生活も人との連絡も、ネットなしではできない生活になってしまいました。
そのため、結局私たちが考えるべきなのは、生活のどこまでをネットに頼り、どこまでをネットから距離を置くのか、どこかで線引きをすることなのです。
たとえば、
- スマホ、PCを開かず通知もオフにする時間帯を作る
- ネットサーフィンや動画をぼーっとみる時間を少なくしていく
- ネットの外で創造的な、知的な生産活動を行う時間を作る
などでしょうか。
ネットの弊害を知っておき、ネットの使い方にメリハリをつけておくことで「ネット・バカ」になることは避けられるように思います。
■剣術師範、整体師(身体均整師)、ライター。セルフケア・トレーニングのオンライン教室運営中。
■池袋周辺で施術・トレーニングを行います。【旧:ふかや均整院】
■現代人の脳・感覚の使い方の偏りや身体性の喪失を回復するために【suisui】という独自のプログラムをオンライン教室中心に運営しています。