日課を作ろう

村上春樹のエッセイには「継続すること」のポイントが詰まっている

2019年2月13日

村上春樹が走ることについて語ること

『走ることについて語るときに僕の語ること』という村上春樹のエッセイがあります。

これは、村上春樹が自らのライフワークである「走ること」について語った本です。私は村上春樹の小説は数冊しか読んだことがなく、しかもあまり自分には合わないなと感じていたのですが、このエッセイはとても面白く何度も読みました。

なぜなら、この本に書かれているのは「継続的に努力する」ための思考習慣や心の姿勢のことであり、これは武道・スポーツや勉強、仕事などあらゆることに応用できるテーマだからです。

私も意思が弱いなりに習慣を継続し、努力してきたつもりです。

それだけに、この本で書かれているランナーとしての村上春樹の姿勢には、共感と学びがとてもたくさんあるのです。

そこでこの記事では『走ることについて語るときに僕の語ること』から学べる、努力を継続するための姿勢について詳しく書きます。

ランナーとしての村上春樹

村上春樹は小説家という仕事のかたわら、30年以上もランナーとして活動しています。趣味でジョギングする程度ではまったくなく、フルマラソンやトライアスロンにも何度も出場しています。

走るようになったきっかけは、専業小説家になってひらすた机に向かう日々になり、体調の維持が気になりだしたからなのだそうです。

そんなランナーとしての村上春樹が考えたことが書かれたのがそこでこの記事では『走ることについて語るときに僕の語ること』です。

文体は村上春樹の独特のものですが、中身はランナーとしての姿勢のこと、トレーニングのこと、マラソンやトライアスロンの大会のことばかりが書かれています。

なぜ小説家がランナー?と思いますが、それは「ただ走る」という競技が、自分に向いているからだと答えます。

何ごとにもよらず、他人に勝とうが負けようが、そんなに気にならない。それよりは、自分自身の設定した基準をクリアできるかできないかーそちらの方により関心が向く。そういう意味で長距離走は、僕のメンタリティーにぴたりとはまるスポーツなのだ。

このメンタリティーは小説家としての姿勢とも同じなのだそうです。

同じことが仕事についても言える。(中略)書いたモノが自分の設定した基準に到達できているかいないかというのが何よりも大事になってくるし、それは簡単には言い訳のきかないことだ。

ストイックで内省的な姿勢ですよね。

この本の中では、このような姿勢でトレーニングを積んでいることが分かるたくさんの文章があります。

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傷ついたときは走る

人から傷つけられたとき、あなたはどんなことをしてその気持ちを消化するでしょうか?

私は運動することも多いのですが、村上春樹もそうなのだそうです。

誰かに「故のない批難」を受けたり、期待に外れて人から受け入れてもらえなかった時、村上春樹は長距離を走ることで、その気持ちを消化しているそうです。

傷ついた気持ちをエネルギーにして走り、それによって自分を鍛えることができるから。

腹が立ったらそのぶん自分にあたればいい。悔しい思いをしたらその分自分を磨けばいい。

内向的というか内省的というか、独特の考えですよね。私もそういうタイプなので近いものを感じました。

走ることで仕事への向き合い方も変える

村上春樹の、走ることへの向き合い方で面白いのは、走ることで自分を鍛え、それを小説を書くエネルギー源にしていることです。

村上春樹の場合、自分の中に何もせずとも湧き上がってくる才能の泉のようなものは何も見つからないのだそう。そのため、自分で小説を書くエネルギーを作るために走っている。

小説を書くためには「集中力」と「持続力」が必要で、それは鍛えるしかないのだそうです。そのためには、毎日走るのと同じようなトレーニングが必要だというのが村上春樹の考えです。

とても良い文章があったので紹介します。

僕自身について語るなら、僕は小説を書くことについての多くを、道路を毎朝走ることから学んできた。自然に、フィジカルに、そして実務的に。どの程度、どこまで自分を厳しく追い込んでいけばいいのか?どれくらいの休養が正当であって、どこからが偏狭さになるのか?どれくらい外部の風景を意識しなくてはならず、どれくらい内部に深く集中すればいいのか?どれくらい自分の能力を確信し、どれくらい自分を疑えば良いのか?

最近は筋トレやフィットネスをする人も増えてきていますが、意識して運動に取り組めば、物事に向かう姿勢も変えていくことができると思います。

この意識を持っていれば、何かに向かう姿勢を、私の場合は武道から「フィジカルに」「実務的に」学ぶことができそうです。

「走りたくない」「やめたい」という気持ちとの向き合い方

私はかれこれ十数年にわたって運動習慣を続けてきましたが「忙しい」「モチベーションが上がらない」「今はもっと大事なことがある」など様々な考えに邪魔をされ、そのたびに自分の運動習慣への向き合い方を再検討してきました。

村上春樹も「走りたくない」「やめたい」「今日は休もう」という気持ちと戦ってきたようですが、そのたびに自分に対して様々な問いかけをして「走り続ける」ことを選択してきたようです。

満員電車に揺られて朝夕の通勤をする必要もないし、退屈な会議に出る必要もない。それは幸運なことだと思わないか?(中略)満員電車と会議の光景を思い浮かべると、僕はもう一度自らの志気を鼓舞し、ランニング・シューズの紐を結び直し、比較的すんなりと走る出すことができる。

また、走ることをやめないためには「走る理由」を持ち、磨き続けることが大事だとも書いています。

もし忙しいからというだけで走るのをやめたら、間違いなく一生走れなくなってしまう。走り続けるための理由はもんの少ししかないけれど、走るのをやめるための理由なら大型トラックいっぱいぶんはあるからだ。僕らにできるのは、その「ほんの少しの理由」をひとつひとつ大事に磨き続けることだけだ。暇をみつけては、せっせとくまなく磨き続けること。

上記の文章は、この本の中で一番印象に残っている文章です。

私がこの本をはじめて読んだのは、大学生活をしつつ武道修業にも明け暮れていた20歳前後のころです。この頃は、バイトや学校生活、友人との関係、将来のためにやらなければならないことなど、学生なりにたくさんのことを抱え、忙しさを感じつつ、それでも毎日練習を続けるために自分に響く言葉を求めていました。

そんな中で見つけて「この考えだ!」と思ったので、印象に残っているのだと思います。

続けるための理由を磨き続けるというのは「やめたい」「休みたい」と感じた時に、何度も自分の中で「続ける理由」を思い出し、噛みしめることだと解釈しています。

この言葉は、これからもずっと大事にしていきたいです。

また、走ることを続けるための自分ルールについて、以下のように書いています。

もし自分で決めたルールを一度でも破ったら、この先更にたくさんのルールを破ることになるだろうし、そうなったら、このレースを完走することはおそらく難しくなる。

この言葉はひやっとしますね。これまでいくつの自分ルールを作っては破ってきたかと思うと、、

昔、ある人からも「努力を続けるために大事なのは、自分で作ったルールを一度も破らないことだ」と言われました。一度でもルールを破ると、自分の中で「例外」ができてしまい、それから何度でも破ってしまう。

「一度もルールを破らない」というのはストイックな姿勢に見えますが、実は努力し続けるための唯一の方法なのだろうとも思います。

身体を鍛え続けるための心の姿勢

一つのことを長く続けると、目標を持っているのに努力が辛くなり、鍛え続けることから逃げてしまいたいこともありますよね。

村上春樹は、走り続けるために身体に対して以下のように話しかけているそうです。

そこでの重要なタスクは、「これくらい走るのが当たり前のことなんだよ」と身体に申し渡すことだ。(中略)身体というのはきわめて実務的なシステムなのだ。時間をかけて断続的に、具体的に苦痛を与えることによって、身体は初めてそのメッセージを認識し理解する。

比喩的な言い回しですが、継続的に身体を鍛えてきた人には感覚的に分かるのではないでしょうか。

トレーニングは、最初は楽しさや目標に向かう意志、高いモチベーションをエネルギーに頑張れますが、長く続けていると「このくらいでいいか」という諦めが生まれたり、限界にはほど遠いのに「もうこれが限界だ」と思って、トレーニングのレベルを止めてしまうことがあります。

おそらく誰にでも起こることではないでしょうか。

それを打ち破る方法として、私も毎日集中して練習に取り組み「当たり前のレベル」を少しずつ上げていく、ということをやってきました。これは効果はありますが、毎日行うこと、集中して行うことを絶対に守らなければ続かないものです。

これもこの本の中で指摘されています。

しかし負荷が何日か続けてかからないでいると、「あれ、もうあそこまでがんばる必要はなくなったんだな。あーよかった」と自動的に筋肉は判断して、限界値を落としていく。

そして、また元の水準び戻していくためには、また時間をかけてトレーニングし直さなければならなくなります。

負荷が与えられなくなれば、安心して記憶を解除していく。そしていったん解除された記憶をインプットしなおすには、もう一度同じ行程を頭から繰り返さなくてはならない。

このように、書かれていることは長く運動をしていれば誰にでも起こることで、みんな心の奥で感じたり考えたりしたことがあることだと思います。

しかし、その感情をごまかさず、明確な言葉にし、自分の走ることへの取り組み方を見直すことで「走る」という習慣を見事に身につけ、人生の柱の一つにしてしまっているのが村上春樹ならではです。

この本を読むといつも自分の練習、トレーニングへの向き合い方を見直せるので、本当に良い本です。

村上春樹が好きな人だけではなく、運動している人、習慣を続けたい人、一つのことを追求したい人には、学びが多い本だと思います。

ぜひ手に取ってみてください。

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