身体操作

ストレスを減らすために感覚の使い方を変える①認識論をヒントに考える

2023年8月1日

ストレスを減らすための感覚の使い方

この記事をお読みいただきありがとうございます。

東京・荒川区でふかや均整院を経営している院長深谷です。

この記事では、ストレスを感じにくくして疲れにくい体になるために、どのように感覚をコントロールするか、という話を書きます。

これは、武術の世界で行われていることと共通するものではありますが、私が生活の中で工夫してきた独自のものです。

この私が行っている方法を、認識論という学問の枠組みを使って説明しています。

わかりやすいノウハウを簡単に説明するような内容ではありませんが、論理的な背景を理解するといかようにも応用ができます。

この記事では、まずはその理論的な背景に絞って書いています。

感覚の使い方を変えて、ストレスを感じにくくする、疲れにくくする、ということに興味がある方はご覧ください。

人間の認識は五感覚像であり、問いかけ的認識である

同じような環境で過ごし、同じような出来事にあった人どうしでも、そこに強いストレスを感じる人と、感じない人がいます。

このような個人差はなぜ生まれるのでしょうか?心理学や脳科学など、いろいろな専門分野で説明可能だと思いますが、ここでは私が学んできた認識論の枠組みを使って説明します。

人間の認識をどうとらえるか、研究が蓄積されてきたのは哲学の分野です。私の立場はその中でも唯物論の立場に立っています。

私が学んできた理論では、そもそも人間は認識的実在であり、認識とは感覚器官を用いて外界を反映し、それを脳の働きによって像(五感覚像)として描いたものです。

認識的実在とは、人間は人間以外のあらゆる生物と違って、認識の働きによって全身を統括することで生きる存在である。認識の働きが人間とそれ以外の生物とを区別する本質的な要素である。という意味だととらえています。

そして、私の学んできた理論では、認識とは外界を反映した像であると考えます。より正確にいうと、五感覚器官(視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚)によって外界から情報を受け取り、神経を介して、脳の中でその情報を像として合成して描いたものが認識です。この像は視覚的な「イメージ」ではなく(視覚優位ではありますが)、五つの感覚像が合成されたものです。

人間は、生まれた瞬間から感覚器官を介して、外界を像として描いていきます。その像は記憶像として蓄積され、さらに外界に「これは何だろう?」「これはどうなってるんだろう?」といった問いかけをすることで、問いかけに応じて反映された像が描かれて記憶像となります。

こうして、外界ただ鏡のように反映するのではなく、問いかけによって個性的な反映がなされることによって、個性的な像が描かれて蓄積されていくというのが、人間の認識の特徴なのです。

この「問いかけ的認識」というのが人間を人間たらしめている、独自のものなのです。

これは動物と比べることで分かりやすくなります。動物の認識は、いわば本能という変わらないプログラムであり、外界に対して問いかけて個性的な認識を形成する、ということはありません。本能というプログラムにそって一生を過ごすため、人間のように個性的な人生を歩むということはありません。

逆に、人間の場合は認識が本能によって統括される部分がほとんどなく、個性的に創られた認識によって活動するものです。簡単にいえば、育てられ方、生き方によってどのようにも認識(つまりアタマの働き、人格、精神的な強さなど)が形成されるということでもあります。

端的にいえば、人間の認識(頭脳の活動や性格、感情)の実力に関していえば、健康な人でいえば、生まれ持った才能やセンスというものはほとんどなく、育ちによる影響がほとんどであるということです。

これらについて詳しくは下記の本に書かれていますので、認識論について学びたい方は読んでみてください。

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環境を変えても、心が疲れたままになる理由

ストレスを感じやすいとか、疲れやすいというのも、認識の実力の一つであると私はとらえています。

ただし、ここでの認識の実力にかかわるものはいくつかあります。

前述のように認識とは人間の頭の働き、心の働きのすべてですが、この認識のもとになっているのは外界であり、五感覚器官(視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚)です。人間は頭の中で無限に想像力を駆使することができますが、そのおおもとには外の環境(外界)と、それを反映する感覚器官があるということです。

そのため、よくいわれるように「ストレスを感じる環境から身を遠ざける」ということは、対処法として有効です。

環境が変われば、外界の反映が変わるため、認識(頭、心の働き)も変わるからです。

ただし、それだけでは改善しない場合もあるでしょう。

人間の認識は動物とは異なります。そのため、強いストレスを受ける環境に居続けた結果、心の働きがネガティブなもの、病んだものになってしまった場合、環境を変えてもネガティブなまま、病んだままでいい変化がない場合もあると思います。

このようなケースは、人間の場合は外界と関係なく頭の中だけで像をつくりだし、変化させられるため起こるのだと私は考えます。ネガティブな考え、病んでしまう思考、ストレスを過剰に受け取る考え方、などが繰り返されることで、そのような頭の働かせ方が量質転化してしまうからです。

その結果、外界の変化と関係なく、頭の中でネガティブな像が形成させられ続けることになります。

このような場合、一般的には頭の働かせ方を変えるために、カウンセリングを受けるとか、認知行動療法を受けるといった対処法が取られます。

程度が軽ければ、自分で自分の考えを変える努力をすることで改善することもあるでしょう。

ここで私がさらに付け加えたいのは、感覚器官からのアプローチです。

感覚器官にアプローチすることでストレスを減らし、疲れにくくい身体をつくる

繰り返しになりますが、人間の認識のおおもとになっているのは、外界(外の環境)とそれを反映する感覚器官です。

そのため、環境を変えるだけでなく、感覚器官にアプローチすることも大事なのです。

感覚器官へのアプローチには、大きく下記の2つが考えられます。

  • 感覚器官そのものを鍛える
  • 感覚器官の働かせ方を変える

ただし、現代の大人の生活で感覚器官そのものを鍛えるというアプローチは取り入れにくく、現実的ではないと思われます。子どもなら、まだ鍛えるアプローチも取りやすいですが。

そのため、ここでは感覚器官の働かせ方を変える手法に絞って説明します。

感覚器官の働かせ方を能動的に変えることが重要

感覚器官とは、ここでは五感覚(視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚)であるとまずはおおざっぱに考えてください。

あなたはこれらの感覚を、どのように意識して使っているでしょうか?

日常生活の中でたいていの方は、なんとなく、何も意識せずに使っていると思います。現代人の生活では、肉体の能力に依存する要素がどんどん減ってきているため、感覚の使い方も適当で何とかなります。

しかし、適当に、無意識に使っていると、感覚の使い方は「その人の生活のレベルに合わせて」つくられてしまいます。

そのため、たとえば都市部のデスクワーカーでで画面を見続ける生活をしていれば、

  • 一点を集中して見る、平面を見続ける、という視覚
  • 人間の声や機械音ばかり聞く聴覚
  • 人工物ばかり触る触覚

といった感覚の使い方になります。

つまり、感覚の使い方が画一的になり、外界からの反映も画一的になります。そのため、認識(頭、心の働き)にも当然影響します。

そこで、感覚器官の働かせ方を能動的に変え、外界から受け取る反映を変化させることが大事です。

具体的な方法は、ここでは簡単に紹介するにとどめますが、下記のようなことです。

  • 五体を繊細にコントロールしたり、触覚を繊細にコントロールする訓練をする→武術、施術、ダンス、芸術活動などが考えられます。
  • 「見る(見ない)」ことを意識的に行う→視覚に入ってくる対象を受動的に受け取るのではなく、意識的に観察したり、意識的に無視したりすることで、外界から入ってくる情報を取捨選択することが訓練になります。
  • 「聴く(聴かない)」ことを意識的に行う→同上です。

こうしたアプローチを実践することで、それまでストレスと感じていた物事をストレスとして受け取らない、外界からの刺激を能動的に(自分の受け取りたいように)受け取る、外界からの情報を取捨選択して反映する、といったことができるようになります。

「疲れやすい」「ストレスを受けやすい」という自覚がある方、いわゆるHSPだと思われている方が、当院のお客様の中にもいらっしゃいます。

そういう方は、外の環境に影響されやすく、疲れやすかったり、不安になりやすかったり、根深い緊張があったりするものです。

そのような方は、特に感覚器官の働かせ方を訓練することをおすすめします。今の状態では、感覚のセンサーが鋭敏で、入ってくる情報を取捨選択できていないために、その情報量、刺激量に圧倒されてしまっているような状態だからです。

具体的な手法について、詳しくは今後書いていきたいと思います。

今回は理論編として、ここまでです。

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