心について知ろう

「恥」の意識が強いと自分を抑え、体は緊張してしまう

恥とは?恥の感情について

こんにちは、ふかや均整院の院長深谷です。

整体に来られるお客様に限らず、身の回りを見渡しても、自分の本来のふるまいができないことで葛藤し、それが体にも「緊張」という形であらわれている方を多く見かけます。

「本当の自分はこうじゃないのに」

「こういう行動をしたら○○と思われてしまう」

「こういうことをいうのは自分らしくないからやめよう」

といった行動は多くの方に経験があるのではないでしょうか。

日本文化論のルース・ベネディクトは、日本文化の特徴を「恥の文化」と指摘しました。

すでに古い議論ではありますが、人の目を気にして「こういう行動は恥ずかしい」と考え、自分の行動を規制するのは日本人の特徴として当てはまっているようにも思います。

後に説明するように「恥」という感情は、自己イメージを守ろうとするものです。

そして自己イメージに縛られてしまうと、自分の行動を規制する力が強くなり、自分らしくふるまえず葛藤します。

それが体に緊張(コリ、不調)といった形であらわれることがあると思われます。

「恥」の意識が強いと自分の行動を強く縛る

そもそも「恥」とは、きわめて社会的な感情です。

「恥」は自己イメージを守る感情、という側面があります。

あなたが「恥ずかしい」と感じた時のことを思い出してみてください。そのとき、無意識のうちに、そもそもの自分のイメージ(たとえば真面目、誠実、おとなしいなど)を想定しているのではないでしょうか。

その自己イメージに対して、逸脱する行動をしてしまったために「他人から笑われる」などと考えて、恥ずかしいと感じるものだと思います。

つまり、自己イメージから逸脱する行動を「恥ずかしい」と感じてしまうわけです。

そして、自己イメージから逸脱しないために、先に「こういう行動は恥ずかしいからやめよう」などと考えて自分の行動を縛っていくのが、多くの大人がやってしまうことでしょう。

そのため、恥の意識が強いと、本当に自分が感じている内面の感情と、外に出す表現とのギャップが大きくなってしまいます。その結果「本当の自分が出せない」「思っていることが言えない」「人目が気になって行動できない」といったことにつながってしまうのです。

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「恥」は社会的な感情

この「恥」という感情は、きわめて社会的な感情です。

これは、他の動物をみるとわかります。犬や猫は恥ずかしいと思うことはありません。変な動きをすることに躊躇がありません。人間以外の動物は、群れのような社会的な行動をする動物であっても、その社会的な行動は本能に基づいているのであり、「恥」のような感情によって動いているわけではありません。

人間は個性的な生き物

一方、人間は進化の過程で、本能によらない活動をするようになりました。

人間の認識(頭の働き、心の働き)は、動物のような決まったプログラム(本能)ではなく、育ちの中で個性的になっていきます。

この人間の認識については、下記の記事などに書いているので参考にしてみてください。

頭の働きをよくするためには「環境」「感覚」「認識」を改善すること

ストレスを減らすために感覚の使い方を変える①認識論をヒントに考える

このように人間の頭、心の働きは育ち方次第でいくらでも個性的になってしまいます。これは、育った家庭環境、通った学校、習い事、経験したスポーツなどによって個性がさまざまになる、という身近な事実で分かる通りです。

遺伝によって個性を説明するような主張もありますが、性格、人格、感情といわれるような内面的な個性のほとんどは育ちによって形成されるものだと私はとらえています。

この個性的な認識の形成については、下記の本に詳しく書かれています。

しかし、人間はどの動物よりも複雑な社会を形成し、集団の中で生活しています。

そのため、誰もが個性的に育ちすぎると、社会の秩序は維持されなくなってしまいます。

そのため、社会の秩序が維持されるように、人間はしつけや教育という形で、集団生活が成り立つように個性をある程度規定することで、文明を発達させてきました。

個々人の意思をまとめあげる仕組みとして規範が形成され、その規範が長い時間をかけて内面化されていったのです。

「恥」は集団生活を円滑にするために形成された

前置きが長くなりましたが、社会、つまり集団生活を円滑に営むために、人間はしつけや教育の中で規範を内面化するようになりました。

その規範の一つに「恥」の意識もあると考えることができます。

「恥」とは「この集団(社会)の人間はこうであるべき」という規範、つまり共有された認識です。

このように「人間はこうあるべき」という規範が共有されていることで、その社会の人々の行動をある程度コントロールすることができます。

たとえば「お行儀が悪いのは恥」という規範が強い家庭で育てば、その家庭の子どもは「お行儀が悪いことは恥」という認識をもって行動するため、逸脱した行動はとりにくくなります。管理する側の人間(家庭なら親、学校なら教師、社会人なら雇用主・会社、国家単位なら政府)からすれば好都合です。

日本は特に島国として、他民族の侵略を受けることも、大量の移民を受け入れることも少ないまま民族の多様性が少ない歴史の中で文化を形成してきました。

そのため「恥」という文化も長い歴史の中で、大きく覆ることもなく形成されてきたのではないでしょうか。

そのため、多くの人が今でも自然に受け入れてしまっている、と考えられます。

このように「恥」というのは、放っておけば個性的になりすぎる人類が円滑な社会を形成するために、長い歴史の中で形成してきた社会的な感情であるわけです。

したがって「恥」の歴史も長いと思われる日本人は、それだけ恥によって自分の感情や行動を縛ってしまうケースが多いのではないか、と思われます。

「恥」という規範の一部は現代では足かせになる

「恥」という社会的な感情は、長い歴史の中で形成されてきたと書きました。

安定した変化の少ない社会なら、「恥」の意識が社会の中で機能することで、社会の秩序も安定するのでしょう。昔ならそれでもよかったのだと思います。

しかし、現代では社会の在り方が大きく変化しています。

近代化によって、職業選択も、住む場所も、結婚も、多くのことが個々人の選択にゆだねられる自由な社会になりました。また、経済環境の変化も大きく、個々人が個性を発揮すること、個性を積極的に発露させることが求められています。

前近代の社会なら、多くの人は個性なんて発揮せず「恥」のような感情を守って生きていれば、むしろ真面目でちゃんとした人間だと思われていたのかもしれません。

しかし、現代社会では「恥」の感情は足かせにもなりえます。

「恥」を気にして感情表現や行動にストップをかけていたら、社会で評価されないだけじゃなく自分自身も葛藤してしまいます。

つまり旧来の「恥」が機能していた社会から、機能しにくい社会へと変化してきているのだと思います。

「恥」で自分を抑えつけることで心が葛藤し、体が緊張する

「恥」は社会的な規範が深く内面化された感情です。

そのため、本来の自分の感情表現や行動を抑えつけることにもなります。「恥」の意識が強い人ほど、思ったように行動できなくなってしまいます。

このような矛盾が続くと体には緊張が積み重なってしまいます。

体のどこか、もしくは全体が緊張した状態だと、力んで動いて怪我しやすくなる、肩や首、背中がこる、疲れやすい、といったことにも。

そのため、体をゆるめる施術を行うことも大事ですが、それだけでなく自分の心の葛藤、「恥」の感情を自覚し、見つめなおしてみることも大事です。

そのためには「自分を縛る『思い込み』は何だろう」「自分が信じている『こうあるべき』という意識は何だろう」といったことを、よく考えて言葉にしてみることをおすすめします。

落ち着いてゆっくり、時間をかけて考えてみるといいでしょう。

「恥」の意識について、具体的なワークなどは下記の記事で紹介している本にも書かれています。

参考▶「恥」について

ぜひ読んでみてください。

参考▶『心理学化する社会』

こちらも参考までに。

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