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『「認められたい」の正体』の要約・感想

2021年7月28日

『「認められたい」の正体』 (講談社現代新書) を読んだ。

現代社会では、おそらく世界的に「承認」を求めている人が増えているのではないだろうか。SNSやYouTubeを誰でも利用するようになり、そういう傾向に歯止めがかからなくなっているようにも見える。では、なぜ人は承認を求めるのだろうか?

そんな疑問に答えようとしているのが、この本である。

1章:『「認められたい」の正体』の要約

近年、承認を求める人が増え、承認のゲームが繰り返されている。

それはコミュニケーション重視の社会になっているからで、コミュニケーション力がないと人から認められないようになったからだ。

コミュニケーション力重視になってしまったのは、多くの人が共有する共通の価値観が崩れ、「価値ある行為」が分からなくなってしまったためである。つまり、周囲の承認を、コミュニケーション力で得ることだけが行われるようになった。行動の指針が自分の価値観ではなく、他人の判断にあるようになったためである。これが、承認不安、ニヒリズムであり、「見知らぬ他者」の排除なのである。

1-2:時代の変化

このような時代になったのは、1970年代からである(「虚構の時代」と見田宗介は言う)。

共通の価値観は持たないが、形式だけでも信じるふりをするという時代で、これをスラヴォイ・ジジェフは「シニシズム」と言った。

その後、シニシズムも終わり、自分の欲求を満たすだけの「動物化」の時代になったと東浩紀は指摘する。

しかし、今でも承認は求められている。それは、シニシズムではなく、ただ互いの承認を維持するだけの「空虚な承認ゲーム」の時代である。

「空虚な承認ゲーム」とは、承認不安が強いほど、自由を犠牲にする時代である。自由な社会にはなったため、価値観が多様化し、承認不安になった。共通の価値観がないため、承認ゲームは価値観を共有する、小集団の中のみとなった。

1-2:なぜ人は認められたいのか

人間は本質的に、自由な判断をして批判されるより、権威ある他者の判断に従って肯定されたいのかもしれない。

承認欲はそもそも、近代の自由社会で生まれたのではなく、人間が文化を築きはじめた当初からあった。しかし、その時代は共通の価値観があったため、承認欲が前面に現れることがなかった。

そもそも、人間に承認を与えるのは、下記のものである。

  • 「親和的他者」
    →愛情、信頼、存在そのものの承認。親和的承認が得られないと、子は無理な努力をする。しかし努力して認められても、親和的承認ではない。それは「ありのまま」を認めることではない。
  • 「集団的他者」
    →仲間、ライバルからの承認。これは努力で得られる可能性があり、確実性があるもの。
  • 「一般的他者」
    →社会全体で認められること。普遍的に価値のある行為のこと。「いつか人に認めてもらえるだろう」と考えての行動は、一般的他者の視点。この視点を確立することが、承認不安を乗り越える方法である。これを確立することで、今、誰かに認めてもらえなくても、いつか認めてもらえると思える。他者一般の承認を想定している。他者から承認された経験の蓄積から、この視点が確立される。

1-3:人はどのように承認欲を持つようになるのか

子は、家ではありのままの自分を受け入れてほしいと思っている。

しかし、親は家のルールに従わせるために、親和的承認をあきらめさせ、ルールを守らないと承認されないと思わせてしまうことがある。こうすると、子は「良い子」を演じてしまう。

「親和的承認の安心感があってこそ、強い不安からではなく、賛美されるよろこびからルールを守るようになり、価値ある行為を行えるようになる。」

(1)承認の視点の発達

乳児の頃、子は母との関係の中で、はじめて自分が肯定・承認されていると感じ、そこから自己価値への承認を求める欲が生まれる。

「無条件の承認」から、承認の欲が生まれる。しかし、子が母からの無条件の承認を得られる期間は短い。それは、母が完全には応えられなくなるからであり、また母が子に多くの期待を向けるようになるためである。

そうすると、子は母が万能ではないという現実認識を高める。そして、親の承認を得るためには、価値ある行為が必要と考えるようになる。こうして、集団的承認、一般的承認への視点を持つようになる。

第一次反抗期とは、無条件の愛を確かめようと反抗する時期である。母が完全には応えてくれないことを知り、無条件の愛より、ほめられたいと考えるようになる。こうして、親のルールを内面化し、これを成長するにつれて自己修正し、一般化していく。

一般化するのは、母が父や先生などの第三者を引き合いに出して、ルールが一般的なものであることを示すことで、子が育っていくためである。

子は、「一般的他者の視点」が弱いうちは、「集団的他者の視点」を優先し、公正な判断ができない。しかし、少しずつ普遍的価値を追求するようになる。この視点が弱いと、行為を親、友人などから批判され、挫折感を感じ、自己否定してしまう。

(2)承認不安

親の承認が得られない、承認が歪んているという場合は、承認不安になってしまう。

例えば、親の言っていることとやっていることが異なる親(ダブルバインド)の場合、子は何をしたら承認が得られるか分からなくなる。

このような育ちをすると、「一般的他者の視点」が獲得できない。

(3)価値観があると承認がいらない

強い価値観があると、行為の価値をいちいち考える必要がない。

その価値観が正しいかどうか(人から承認してもらえるかどうか)は、「一般的他者の視点」からなされるが、価値観が共有されていれば、何が正しいか分かり切っている。いちいち他者の視点に立つ必要がない。

しかし、一般的な価値が疑われ、相対主義的な社会になってしまうと、身近な人の承認のみが求められるようになる。そうすると、自分を過剰に抑制し、自由が妨げられる。承認されないことで、不安、苦悩、精神疾患などになってしまう。

1-4:承認不安の時代はなぜ到来したか

近代以降、共通の価値観が崩れていき「こうすれば認められる」ということが分からなくなったためである。

近代以前は、承認不安はなくとも、逸脱行為は厳しく批判され、自由がない時代だった。

近代になってからは、自由が増え、そして承認と自由が葛藤するようになった。

18世紀以降、西欧では近代化、啓蒙思想の広がりなどで自由に生きて良いと思われるようになる。一方、伝統的価値観を無視すると承認を失うという葛藤も同時に生まれ、自由と承認が葛藤するようになる。その結果、自己価値を実感できず、ニヒリズム(真なるものは存在しないという認識)に襲われた。第二次産業革命、技術革新、工業社会化、消費社会化などで多くの人にニヒリズムが広がり、一部は自由を犠牲にして秩序に従う全体主義につながる。

第二次世界大戦後も、新たな価値が探し求められた。そこで、今度はマルクス主義が台頭するも、70年代に矛盾を明らかにし消費社会が登場したことなどから、退潮する。

さらに、余暇が生まれ新たな生き方を模索する人が増え、個人主義が広まる。自分の価値観がない人はニヒリズムへ。

このような時代の変化から、他者の承認を過大評価し、自分の存在価値を確認しようとするようになった(大きな物語の終焉)。

日本でも、80年代から高度消費社会になった。個人は自分なりの価値観で生きれば良いという考えが広がるも、バブル崩壊以降豊かな生活が危うくなり、不安が深刻になる。価値の基準がないため、身近な人に確認するしかなくなる。しかし周りに合わせる自分が偽りのように感じる、生きる意味が分からない等の心の問題が生まれる。そして、承認不安を避けるために、同調、引きこもり、抑うつなどになる。

また、親の偏った価値観を相対化するメタレベルの価値観がなく、相対化できないために、親の価値観を修正できないまま大人になることも増えた。偏った価値観を持っているため、承認のために過剰に努力するようにもなった。

1-5:承認不安から抜け出すためには

承認不安から抜け出すためには、自由と承認を両立させることが重要。

「自己決定による納得」があることが、自由を満たすために大事である。この自己決定によって、両立できる。

そのために、まずは自分の行動を本心から「自己了解」し、自分の偽りのない欲に気づくことが重要。その上での決定である。

そのために、自分の先入観、価値観の歪みに気づくことが大事。歪みに気づくために、神話的承認が得られる人に協力してもらうことも大事。「ねばならない」「すべきだ」の根底に承認不安がないか?ということ。

《手順》

自己分析する。感情の内省→欲望・当為の自己了解→当為の分析→今後の行為を決定する。

分析して得られた自己像・ルールは、一般的に認められるものにするため、一般的他者の視点から再検討する。

他者がどう考えるか、捉えるかを想像し、反応を受け取りながら価値を一般化していくこと。この視点を多くの人が持っていれば、多くの人が同意する道徳的基準を見いだせる。したがって、承認し合うことができる。

2章:『「認められたい」の正体』の感想

『「認められたい」の正体』は、社会学や発達心理学的な知識が多く、まったく前提知識がなければそれなりに読み込まないと分かりにくい部分もあるかもしれません。しかし、よく読めば非常に分かりやすく、「承認」をめぐる議論が理解できます。

特に重要なのは「承認不安から抜け出す」という、実戦的な手順です。ここでは簡単にしか紹介していませんので、ぜひ読んでみてください。

「認められる」ことを過度に求める問題は、アルバイトが過激にふざけてSNSなどにアップする「バイトテロ」や、認められたいがために犯罪を起こす、暴走や攻撃的行為をする、といったことにとどまりません。

「認められていない」という根源的な不安があるために、精神的に不安定であり、自分の人生を歪めてしまう。健全ではない人間関係を持ってしまう、というのは多くの人に経験があると思います。また、そのこと自体が自覚できていない場合もあると思います。多くの人にとって日常的な問題に関わるのです。

また「認められていない」という不安から、子どもが不登校、引きこもりになったり、学校で問題行動に走る場合もあるようです。人の行動を歪める原因になるため、一人ひとりが正しい対処法を知っておくことが大事でしょう。

子を持つ親であれば、正しい承認を与えられる教育を心掛けるべきでしょうし、部下を持つ上司なら部下の「認められたい」の気持ちに気づくことが必要です(気づいた上でどう対処するかは別問題ですが)。現代日本人にとって読む意義の大きい本ですので、ぜひ手に取ってみることをおすすめします。

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