私が修業・指導している二天一流剣術では、
- 現代人が無意識に行っているものとは異なる、独自の合理的な身体の動かし方や鍛え方
- どんな状況でも動じずに、堂々と普段通りの心持ちでいられる精神
- 自分の専門分野や日常生活における様々な問題を、自分の頭で解決できる論理能力
を身につけることができます。
才能やセンスは必要なく、誰でも真面目に鍛練を続けることで、これらの力を身につけることができる。そんな体系を持っていることが、二天一流玄信会の特徴であり、魅力です。
私自身、玄信会に入会してこれらの力を大きく伸ばすことができた実感があるので、なぜ剣術を通してこのようなことが可能になるのか、その理由をまとめました。
これほど魅力があるのですから、ぜひはじめましょう、という記事です。笑
合理的な身体の操作法が学べる
一般的にあまり知られていないことですが、日本の伝統的な武術にはもともと、非常に精妙で合理的な身体の動かし方が伝わっていました。
たとえば、
- 地面を蹴らずに、敵から悟られないように素早く動く体捌き
- 筋力に頼らず、強い打撃力、斬撃力を生み出す技術
- 敵からの強い打撃、斬撃を最小の力で受け流す技術
- 敵の動きを最小に、自分の技を最大に活かす間合いや拍子の取り方
などです。
これらは一つ一つが本当に高度な技術ですが、スポーツや格闘技などとは異なり、独自に発展させ続けてきた日本武術だからこそ現代まで伝わっているようです。
とはいえ、戦うことが日常から遠く離れてしまった現代社会では、多くの流派では、このような精妙で合理的な独自の身体の動かし方は残っていないと考えられます。
だからこそ、二天一流の二刀流の技や武術の世界の言い伝えに対して、
「片手で戦うなら、両手で戦う剣術に力で勝てるわけがない」
「重い刀を片手で素早く、強く振れるわけがない」
「年を取っても若者を圧倒できるわけがない」
などと思われることが多いのではないかと思います。
二天一流剣術には、こうした常識を覆し、圧倒的に優れた技、身のこなしを身につけることができる魅力があります。
しかも、玄信会の場合は、個人の才能やセンスに頼らず、誰でも上達できるものとして、私の先生である宮田和宏先生が体系化しています。
このような流派は他にはないのではないかと思います。
具体的には、
- 切先返しによる片手でも斬撃力を生む刀の振り方
- 一重身から一重身への転換による、敵に悟られない体捌き
- 一重身や下筋を効かせることによる、筋力に頼らずに大きな力を相手に伝える方法
- 漆膠の身、愁猴の身を使った、敵に密着し、相手を崩し、攻撃も防御もさせない身体の使い方
など、二天一流の稽古を通じて身につけることができます。
現代社会ではほとんど失われてしまった「身体の動かし方」という大きな文化を学ぶことができるのが、二天一流剣術の、そして玄信会の最大の魅力だと思っています。
どんな状況でも動じない精神が身につく
玄信会では、二天一流剣術を通して、どんな状況でも動じない精神(不動心)を身につけることを目指しています。
そして、実際に私は二天一流剣術を通して、相当に精神を鍛えることができて「緊張度の高い状況でも普段通りに行動できる」「常に堂々と振る舞うことができる」といったことができるようになった実感があります。
二天一流剣術を通じて、こうしたことができるようになるのは、実はしっかりとした根拠があります。
ポイントは以下の2点です。
- 心を段階的に発展させる
- 実体の技(剣術の技)と相互浸透させる形で精神の技(不動心)を鍛える
順番に少し詳しく説明します。
心を段階的に発展させる
玄信会では、南郷継正先生という方が創始した武道理論にもとづいて、体系がつくられています。そのため、心の鍛練についても、南郷先生の武道理論にもどついて稽古しています。
その理論というのが、心は、
平常心→非常心→平常心(不動心)
という段階を経て、らせん状に発展・成長していくというものです。
これは武道・武術に限るものではなく、人間の心の発展・成長の普遍的な法則です。
ここでの平常心とは、普段通りの心の状態のことです。
これをどんなことにも動じない不動心に鍛え上げていくためには、まずは「自分が普段通りにはいられない」という「非常事態」を体験する必要があります。
非常事態の中では、とても普段通りに動いたりすることができません。
この状態の心のことを「非常心」と言っています。
しかし、この非常事態の中で繰り返し普段通りに動けるように練習を重ねることで、だんだんその非常事態が「平常(当たり前)」になっていきます。
そして、非常事態を当たり前のこととして受け止めることができる心ができると、これが「不動心」になるのです。
平常心が一度非常心になり、さらに成長した平常心(不動心)に成長する、というらせん状の発展・成長を遂げると言うことです。
これを見ると「当たり前じゃないか」と思われるかもしれません。しかし、この法則に基づいた鍛練体系をつくり、普段からその鍛練を徹底している人はどれだけいるでしょうか。
二天一流では、この理論に基づいて普段から心がけ、稽古を続けています。
そのため、稽古を通してこの法則が身につき、普段から「どうやったら心を成長させられるか」を考えながら行動できるようになります。
そのため、結果的にそれまでの自分よりも圧倒的に優れた心を身につけることができるのです。
剣術の技と相互浸透させる形で心を鍛える
剣術を通じて心を鍛えることができるのは、技と心を相互浸透的に発展・成長させることができるからです。
たとえば「禅」で心を鍛えようとする場合、心、つまり精神の技だけを、頭の中の世界(観念)だけの修行で身につけなければなりません。これは非常に高度なことであり、素人がちょっとやそっと座禅を組んだくらいでは「心がすっきりした」くらい以上の効果は難しいでしょう。
剣術の場合はこれとは異なり、剣術という実体の技を通じて心という精神の技も発展・成長させることができます。
もう少し詳しく説明すると、剣術の技(実体の技)と心(精神の技)は、コインの表と裏のように表裏一体の関係にあると、私たちは考えています。したがって、どちらか一方だけを発展・成長させることはできない(もしくは非常に難しい)のです。
そこで、剣術の技も合わせて磨くことで、心もより発展・成長させることができるのです。これは、剣術の稽古の具体的な状況を考えるとわかりやすいと思います。
剣術の稽古の中には「組太刀」という稽古があります。組太刀では、実際に木刀で打ち合います。そのため、初心者は恐怖心を感じます。その結果、普段一人で練習している時の動きができず、崩れた形の技しかできません。
しかし、繰り返し組太刀の稽古を繰り返すうちに、恐怖心を克服して、普段通りの動きができるようになっていきます。
つまり、これは技を通して心を発展・成長させているのです。
「これは他のスポーツや格闘技でも自然にやっていることでは?」
と思われるかもしれません。
しかし、他のスポーツや格闘技と剣術には、大きな違いが2つあります。
①ゴールとして想定する心のレベルが圧倒的に高い
違いの1つめは、最終的なゴールとして考える心のレベルが、剣術の方が圧倒的に高いということです。
なぜなら、剣術は「生死を懸けた戦い」の中で発展してきた技術だからです。
昔の武士達が身につけていたレベルの技を身につけようと思うと、昔の武士達が体験していたレベルの緊張度を観念的に想定し、非常事態をつくり出し、そこに合わせる形で心を発展・成長させていかなければならないのです。
「生死を懸けた戦い」という人間にとって最もシビアなレベルを想定し、剣術の技と表裏一体のものとして心を鍛練することができるため、動じない強い心を身につけることができるのです。
②心によって左右される面が大きい
剣術は普段の稽古から木刀や居合刀、真剣を使うため「失敗したら痛いかも」「怪我をするかもと恐怖心を感じることが多いです。
その結果、組太刀を行うときなどには、恐怖心によって動きが左右されるため、自分の心の弱さを、これでもかというくらい何度も繰り返し自覚することになります。
このように、自分の心の弱さを自覚し、より意識する機会が多いため、他のスポーツや格闘技よりも心を鍛練することができるのです。
このように、剣術の稽古には心を強くできるいろいろな仕掛けがあるため、真面目に鍛練すれば誰でも心を強く鍛え上げることができるのです。
自分の頭で解決できる論理能力を身につけることができる
さて、剣術で論理能力が高まるということが一番わかりにくいことかもしれません。
先に、具体的な玄信会の理論面の学びの一例を紹介すると、
- 夏季の稽古後の学習会
- 毎年のテーマを元に論文を執筆(現在休止中)
- 南郷先生の全集や五輪書を中心にした書籍からの学習
などを行っています。
こうした学びを通じて、武道理論や弁証法、認識論、論理学といった理論、学問を学び、論理能力を高めているのです。
私たちがこうした理論面の学習を行う理由は、現代を生きる私たちにが、400年近く前に生きた宮本武蔵の書き残した五輪書や技、精神を正確に蘇らせ、受け継ぐためです。
当たり前のことですが、私たちは宮本武蔵の技や精神を直接目にしたり、聞いたりすることはできません。
とは言ってもその技・精神をしっかりと受け継いでいかなければならない責任があります。そのためには、時代を超えて、宮本武蔵が伝えたかったことを読取らなくてはならないのです。
しかし、400年近くも前に生きた宮本武蔵の考えや技は、わずかに残った書物をそのまま読んでも正確にはわかりません。生きる時代が全く異なり、使う言葉も違った時代ですので、私たちが自分たちの持っているそのままの視点で読んでも、誤読してしまいます。
では、時代を超えて宮本武蔵の技や精神を読み取るためには、何が必要なのか。その答えが論理能力なのです。そのため、私たちは南郷先生や宮田先生の書籍、五輪書などを用いて、絶えず論理能力を高めるための学習をしているのです。
論理能力は普遍的なものですので、武道・武術を通して学習したことは、もちろん別の自分の専門分野に活用して役立てることもできます。
これが二天一流を通じて論理能力が高められる理由です。
※なぜ論理能力があればそれができるのか、ということについては非常に長くなってしまうので、今後別記事で詳しくまとめたいと思います。
まとめ
二天一流剣術の魅力について、少しでも理解わかっていただければ嬉しいです。
こうして言葉にしていくことは自分の頭の整理にもなりますので、これからもいろいろなことについて論じていきたいと思います。
二天一流剣術や玄信会、流祖宮本武蔵について、詳しくは支部のサイトでも書いていますので、ぜひご覧になってください。
https://nitenichiryu-tokyo.online/
■剣術師範、整体師(身体均整師)、ライター。セルフケア・トレーニングのオンライン教室運営中。
■池袋周辺で施術・トレーニングを行います。【旧:ふかや均整院】
■現代人の脳・感覚の使い方の偏りや身体性の喪失を回復するために【suisui】という独自のプログラムをオンライン教室中心に運営しています。