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武道で「精神が鍛えられる」のはナゼなのか?本当なのか?武道特有の理由から解説

武道で精神が鍛えられるのはナゼなのか

「武道を通して精神を鍛える」

というのは、いろいろな武道で謳われていることです。

このような、武道における精神修養的な効果は、古くは江戸中期以降の武術の諸流はで謳われていたようです。

また、近現代に入ってからの武道では、社会の中で直接的に武道を役立てる機会(戦闘)がないため、特に精神修養としての面が打ち出されてきたと思います。

しかし、では本当に武道で精神が鍛えられるのか、精神が鍛えられるとしたらそれはナゼなのか、その理由についてしっかり納得する説明を聞いたことがある人も少ないのではないかと思います。

この疑問について、武道家であり武道を理論化した南郷継正先生は、著作の中でしっかりと答えています。

私は剣術を通してその理論を学んできたため、武道で本当に精神を鍛えられる理由を説明することができます。

この記事では、私なりに学んできた、武道による精神修養の効果について書きました。

精神を鍛えるとは「心の技」を身につけること

私が学んできた武道の理論では、精神を鍛えることは「心の技」を身につけることです。

これは、武道やスポーツを想像すると分かりやすいと思います。

武道でたとえると、武道には「突き」「蹴り」「受け」「打ち」「斬り」「投げ」などの技があります。この技を身につける時には、何度も同じ技を繰り返して、いつでもその技が繰り出せるように訓練する必要があります。

こうして技を繰り返すことで、日常的な動きから武道の技としての動きへと、身体の動きを変えていきます。

これは、精神についても同じです。

武道の世界では、どのような状況でも普段通りに動き、技を出せる精神のことを「不動心」と呼びます。

この不動心を一つの「心の技」が極まった形と考え、あたかも武道やスポーツにおける、身体の動作としての技を身につけるのと同じように、心の技も繰り返して身につけるができるのです。

これが、武道における「精神を鍛える」ということです。

武道における精神の発達の法則

さらに、武道の理論を創出した南郷先生は、精神の鍛え方について以下の方な法則を打ち出しています。

武道で精神が鍛えられる理由

図を見て分かるように、平常心というのは、普段通りの精神状態のことです。

この「平常心」は、「平常」ではないことが起こると乱れてしまいます。

平常でない、つまり「非常事態」が起こった場合の心の状態のことを「非常心」と言います。

この非常心の状態では、普段通りの行動ができません。

つまり、稽古した技を普段通りに使ったり、練習したはずのプレゼンを練習した通りに発表したりできません。

しかし、あらかじめ自分の心が、ある状況では「非常心」になってしまうことを想定し、普段から「非常心」のもとで練習することで、非常心を「平常」にしていくことができます。

つまり、非常事態を「当たり前の状況」にしていくことで、それまでの自分にとっては非常事態の場面であっても、次第に平常心で活動できるようになります。

この状態が、いわば「不動心」です。

武道では、こうした3つの段階を経て、自分の精神を鍛えていくことができるのです。

武道だからこそ最高レベルの精神が身につけられる

しかし、この法則を見ると、

「他のスポーツや仕事でも、同じように訓練すれば不動心が身につくのでは?」

「武道である必要はないのでは?」

と思われるかもしれません。

確かに、日常的なレベルでは、堂々と普段通りに活動できる「不動心」を身につけることもできるかもしれません。

しかし、注意が必要なのは非常事態にもレベルがあるということです。

たとえば、あなたが生活や仕事の上で堂々と振るまえるように、前述の法則を意識して何らかの訓練をしたとします。そうすると、次第に日常的なレベルでは、ある程度の不測の事態が起こったり、緊張する場面に遭遇しても、堂々と普段通りに振る舞えるかもしれません。

しかし、あなたが想定していた「非常事態」を圧倒的に超える場面に遭遇してしまったら、どうなるでしょうか?

その場合は、あなたが身につけた「不動心」は通用せず、「非常心」の精神状態になり、普段通りに活動することが困難になるでしょう。

日常的なレベルの非常事態は、スポーツや何らかの習い事、日常的な訓練で経験できます。

しかし、それを超える事態にも対応できる不動心を身につけたい場合は、武道で訓練することが望ましいのです。

なぜかと言うと、武道の本質は「生命をかけた勝負」にあるからです。

つまり、武道はもともと昔の侍たちが、死を覚悟するレベルの緊張状態の中から生み出してきた技術・精神のカタマリであるため、武道だからこそ最高レベルの精神=不動心を身につけることができるのです。

現代武道ではどのように精神を鍛えるのか

とは言え、現代の武道ではもちろん、稽古の中で本当に生命をかけるような危険な稽古をするわけにはいきません。

しかし「観念的に」昔の侍たちが想定していたであろう精神状態を想定し、それを目指しながら精神を鍛えていくことは可能です。

具体的には、「技の稽古」と「精神の鍛練」を表裏一体のものとして、相互浸透的に高めていく稽古を行います。

「突き」「蹴り」「斬り」などの身体における技と、精神のレベルは、相互に規定し合うものです。

そのため「このくらいで良いか」という妥協をした精神状態で行う技は、それなりのものにしかなりませんし、1回1回の技を最上のものとして、生命をかけた真剣勝負の場で行うものだと強く意識して行うと、本当にそのレベルの技に高まっていくのです。

こうして、薄皮を貼り重ねるように、武道の技と精神を表裏一体のものとして、少しずつ少しずつ鍛練し続けることで、やがて本当の「不動心」に限りなく近づいていくことができるのです。

どの武道でも精神が鍛えられるのか?

では、どのような武道でもこのような精神の鍛練が可能なのでしょうか?

残念ながら、そうではないと思います。

まず、この記事で書いたような武道の理論について、しっかり理解し指導に活かしている指導者は、本当に一握りだと思います。

それに、多くの武道は競技化しスポーツになっているため「生命をかけた勝負」としてではなく「競技に勝つ」ことが目的になっています。

したがって、想定される精神のレベルもそれなりになり、最高レベルの精神を目指して鍛えることはできないでしょう。

多くの武道では、日常的なレベルの緊張を与え、日常レベルの不動心を獲得することはできるかもしれませんが、本来の武道が目指すべき「不動心」を身につけることは難しいと思います。

そのため、もしあなたが最高レベルの「不動心」を身につけたいなら、この記事で紹介した法則をしっかり理解し、繰り返し普段の稽古において工夫し続けるか、この法則を理解する指導者を見つける必要があります。

私が修業・指導をしている二天一流剣術ではそれが可能ですので、興味のある方はお気軽にご連絡ください。

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FT
福岡出身。学問と古武道。