「伝統は守るもの」
とどこかで耳にしたことがある人は多いのではないでしょうか。
私自身、古武道の担い手の端くれとして、これまで学んできた古流剣術の伝統を絶やしてはならない、後世に残していなければならないと思っています。
一方で、私が剣術を残していきたいという話をすると、
「現代に必要なの?」
「放っておいたら消えていくようなものを残す必要があるの?」
と言われたことがあります。
その時は頭にきましたが、確かに「伝統や文化なんて自分には関係ない」と思っている人にとっては、それを守ろうとする人の考えは分からないのも理解できます。
特に現代では、グローバル化が進み、ある意味で合理的に考える人が増えているため、単に「伝統は守るもの」と言われると、その理由を問いたくなるのも分かります。
そのため、伝統を残そうとする者の一人として、なぜ伝統を守る必要があるのか、そもそも守る必要があるのか、ということを説明できなければならないと思っています。
「伝統がないと、日本人らしさがなくなる」
「伝統の中には、日本のブランドとして活用できる」
といった説明の仕方もあるかもしれませんが、十分な説明ではないと思います。
そこでこの記事では、守るべき伝統とは何か、なぜ守るべきなのか私が考えたことを書きました。
そもそも伝統とは何か?
そもそも伝統とは何でしょうか。
手元にある辞書を引いてみると、以下のように書かれています。
ある社会で古くからうけつがれてきた、風習や様式、傾向など。
『例解新国語辞典』
かなり大きなくくり方ですが、伝統とは、ある国や民族、地方など(社会)で、昔から受け継がれてきた様々なものを指すようです。
伝統は全て守り、残すことはできない
しかし現実的に考えれば、昔から日本で受け継がれてきたことをすべて守り、残すことはできません。
もしそんなことが可能だとしても、全ての伝統を守り、残そうとすれば社会の発展が止まってしまうでしょう。
そのため、伝統を守るとすれば、それは現在を生きる我々現代人にとって、残すべき価値のあるものを選び、残すことになります。
では、どのような伝統が「価値があるもの」なのでしょうか。
たとえば、他の方法では再現が困難な技術(工芸品、美術品など)は価値があると言えそうです。
それは、作られるモノそのものに価値があり、しかも他の技術では代替できないため、希少性が高いからです。逆に、現代の技術で代替できるものなら、価値がないとみなされ廃れていく技術も少なくないでしょう。
また、芸術的な価値が高い伝統は、やはり価値がある、守っていくべきだと判断できそうです。
たとえば、音楽、書、絵画、彫刻など。
さらに、モノを生産するわけでもなく、芸術的な価値があるわけでもなくても、人から必要とされている伝統があります。
武道の場合は、趣味や競技として、精神修養・教育の手段として、護身術として、などの面から人から必要とされているため、これも価値があると判断できそうです。
さらに、こういった具体的なジャンルとして確立されているもの以外にも、何らかの形で伝わってきた言葉、知恵、考え方なども伝統です。
こういった伝統の価値の本質は、「特有の時代、社会の中で作られた知恵・経験の集積」であることに由来するのではないかと思います。
伝統の価値は独自性
私の専門である武道で説明します。
武道には、生命をかけた戦いの中や、その戦いに備えるために磨いてきた高度な技術・精神が伝統として受け継がれてきています。
それは、具体的には「伝書」や「口伝(口頭での言い伝え)」として残っていたり「型」「技」「鍛錬法」などの形で残っていたりします。
この武道の技術・精神は、当時の時代・社会的な背景があったからこそ生まれたもので、もし一度失われてしまえば二度と生み出すことはできないでしょう。
武道の場合は、生死をかけた戦いが身近にあり、命を受ければいつでも戦闘に駆り出されるという極限状態を生きた侍たちだったからこそ、生み出すことができた技術・精神なのです。それも、何百年もかけて蓄積されてきたものです。
「生死をかけた戦い」が身近ではない現代人が、同じものを生み出すことは不可能なのです。
さらに、伝統として残されてきた他の芸道や伝統芸能に関しても、当時の時代・社会だからこそ生まれた、というものはたくさんあると思います。
天候の変化や権力者の政策一つで命が奪われたり、村が潰れてしまう。そうでなくても、十分な医療技術がないために簡単に人が死んでしまう。そんな時代だからこそ生み出された芸術があると思います。
そういった、当時の時代・社会だからこそ生み出すことができたものを、現代人が目先の合理性だけで打ち捨ててしまうことは、大きな損失です。
しかし、一方で現代社会を動かしているのは、経済合理性であることは間違いありません。
すべてのモノやサービス、情報が需要と供給のバランスによって価値が判断され、取引される。時には、文化すらも同じ法則の上に並べられ、価値がないから必要がないと言われてしまう。
こんな時代の中では、本当は守るべき価値があるのに、打ち捨てられてしまう伝統も少なくないはずです。
だからこそ、価値がある伝統は守るべきだと私は主張したいです。
伝統は歴史的価値がある
ここまで芸術は武道など、ある程度メジャーな伝統について書きましたが、何らかのモノを生産するわけではなく、芸術的な価値があるとも言えない伝統もあるかもしれません。
たとえば、
- 地方の方言
- 土着信仰
- 地方の民芸品
などの中には、現代社会から価値が見出されず、なぜ守るべきなのか議論の対象になるものもあるかもしれません。
こういった伝統は、守る必要があるのでしょうか?
私はあると思います。それは「歴史」を研究し、明らかにしていくことが大事であること同じ理由になるのではないでしょうか。
「伝統」と同じように「歴史」も「金を使って研究する必要があるのか」「明らかにする意味があるのか」と思われがちです。
しかし、歴史を明らかにし後世に伝えていくことができなければ、日本人とは何なのか、どのような民族だったのか、どのような精神を受け継いできたのか、分からなくなってしまいます。
一見多くの現代人にとって「価値がない」と思われがちな伝統に関しても、同様です。
その伝統が残っているからこそ、過去から現代までどのような生活が営まれてきたのか、昔の人々がどのような考えをしていて、どのようなものを使い、どのような信仰を持ち、どのような芸術を持っていたのかが分かります。
つまり、たとえ現代人にとって価値がないように見える伝統に関しても、歴史的価値があるためしっかり守っていくべきだと思います。
私たちはどうやって伝統を守っていくべきか
さて、伝統を守るべき理由について説明してきましたが、最後に私たちが伝統を「どのように」守っていくべきなのか、私の考えを書きたいと思います。
伝統を守る、残す方法には、大きく二つがあります。
- 伝統をそのままの形で変えずに残していく
- 伝統を現代に合わせた形に変えて残していく
私の剣術に対するスタンスは、基本的には2です。
なぜなら、宮本武蔵の時代から受け継がれてきた技術・精神は、当時だからこそ、そして宮本武蔵という稀代の剣豪だったからこそ生み出すことができたものであり、その技術・精神を十分に身につけていない私が、それを変えてしまうと価値がなくなってしまうからです。
とは言え、現代に合わせなければならない部分もあると思います。
武道の役割は、戦闘技術そのものが必要された時代から、やがて精神修養の手段となり、今では趣味、護身術、精神修養、健康など役割も多様化してきています。
そのため、単に戦闘技術としてのみの面しか見ていないと、一部の愛好家のみからしか興味が持たれず、継承者がいなくなっていくのではないでしょうか。
もちろん、武道の本質が生命をかけた勝負にあったということは忘れてはなりません。
しかし、求められる役割に応えられる形に、部分的に対応させることは必要だと思います。
したがって、伝統は本質を守りつつも、現代人から求められる形に対応させていくことも大事、というのが私の考えです。
これからも古流剣術という日本の伝統を守る端くれとして、もっと日本の「伝統」「文化」について深く知り、考えられるようになっていきたいです。
■剣術師範、整体師(身体均整師)、ライター。セルフケア・トレーニングのオンライン教室運営中。
■池袋周辺で施術・トレーニングを行います。【旧:ふかや均整院】
■現代人の脳・感覚の使い方の偏りや身体性の喪失を回復するために【suisui】という独自のプログラムをオンライン教室中心に運営しています。