武道・文化の課題

『ブリーズ:ヒクソングレイシー自伝』から現代における武道を考える

2022年4月8日

ヒクソングレイシー自伝

『ブリーズ:ヒクソングレイシー自伝』を読みました。

この本を読むことでヒクソンは格闘家、武術家というよりも一種の武道家であり、厳しい格闘技の世界を生き抜く中でその思想を獲得していったことが良く分かり読む価値のある本でした。

私は格闘技も柔術も素人ですが、古武道の世界でそれなりに鍛練し、現代における武道の価値を考えてきました。そのような自分にとって、この本は読みごたえのある本でした。

特に、下記の点を読み取りました。

  • 競技者としての技だけでなく、武術的な想定で技、精神、生活全般について思想を持っていることについて
  • 文化の継承に強い繋がりを持つ共同体が重要な意義を持っていることについて

内容に触れつつ解説していきます。

1章:ヒクソン・グレイシーの技と思想

1-1:ヒクソン・グレイシーの家系

そもそもグレイシー柔術は、世界で戦った日本の柔道家前田光世がブラジルに伝えたものがベースとなっているものです。

前田光世

前田光世(引用元:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Mitsuyo_Maeda_c1910.jpg)

グレイシー一族は歴史ある名家のようで、ブラジルで経済的に豊かな生活をしていたようであり、一族の思想としては家父長的で武士的なものであるようだったことが、この本から分かりました。

具体的には、一族の歴史を重視し、一族の歴史に恥じない生き方をしようという思いがあり、また一族の中には序列があり親の権力が強いようです。グレイシー一族は前田の柔道を学び、それを寝技中心のグレイシー柔術として体系化し、それを一族の中で磨き上げていきました。グレイシー一族の中では、一族のトップを柔術の実力で決める暗黙のルールがあり、そのある時期のトップとなったのがヒクソングレイシーだったということのようです。

1-2:ヒクソン・グレイシーの技と精神

1-2-1:ヒクソンの技と精神の社会的背景

ヒクソンの柔術は、端的にまとめれば、素手の闘争において生命を懸けるレベルの実戦性を前提として体系化されたものであるようでした。

ヒクソン世代のブラジルの都市の社会は、銃社会でギャングの存在も大きく、警察による治安維持や法による秩序は未成熟であったようです。そのため命の危険を感じるトラブルは日常であり、その中で生き抜くためにはそのレベルにおける技、肉体、精神が必要とされたようでした。後にグレイシー柔術はブラジリアン柔術として、グレイシー一族の思想から外れて競技化されていき、現代の総合格闘技界などに大きな技術的影響を及ぼしていきました。

しかし、ヒクソンは今でもあくまで実戦的な護身術としての体系にもこだわっていることから、ヒクソンは命を奪われる可能性のある素手の闘争での技、精神を体系化したと思われます。

ヒクソンは日本での試合前には必ず長野の山奥に籠り、精神統一してから試合に臨んでいたようですが、試合に対して命懸けの姿勢を持っていたからこそ、そのようなルーティンを行っていたようです。

1-2-2:ヒクソンの思想の武道的側面

ヒクソンは柔術の鍛練を単なる競技に勝つためのものと考えておらず、また単に強くなることだけを良しと考えているわけでもないようです。競技の強さや護身だけでなく、柔術を通じて感情をコントロールし、さまざまな場、関係性の中で自分に有利に物事を進めることや、より豊かに生きられる精神を身に付けることも目指していると思われます。

このように、ヒクソンは現代に生きる一種の武道家であるため、その精神的側面にも学ぶべき点があると感じました。

学ぶべき点としては、極限の状況でも最善の解決策を目指して冷静に考え、解決にあたること(必ずしも闘うわけではない)。どのような状況でも主体的に、自分の頭で考えて判断し行動すること。対人的な駆け引きの方法。緊張、不安などとの向き合い方、感情のコントロールなど、多くのものがありました。

2章:ヒクソンの生活と鍛練

参考になる生活、鍛練の中身としては下記のようなものがありました。

  • ヨガを通じての、周りのことがまったく分からなくなるほどの集中力(無心になること?)の修行。
  • ヨガの呼吸法による感情のコントロール。
  • 枝をひたすら鋭くナイフで削ることで、集中力を極限に高めるというトレーニング(アタマを使わず手先に集中して単純作業することは、集中力を非常に高められると思われる)。
  • 冷水を浴びること(神経の鍛練?)
  • 自然の中で鍛練すること。
  • 自分の身の危険を感じ、精神が強く動揺するレベルでの試合経験。

特にヒクソンの時代はまだまだ格闘技も荒っぽく、ブラジルではバーリトゥードというほぼ何でもありの試合を行っていたようです。

剣術における真剣勝負レベルではないとしても、生命懸けに近いレベルで勝負し、生き抜いてきた人物からは、生活内容についても学べることが多くあると感じました。

私たち古武道家には試合というものがなく「生命を懸ける」ということは観念的に想定するしかない部分があります。そのため、自分たちの考える「生命を懸ける」が知らず知らずのうちに甘いものになっていないか?常に意識しておく必要があると思ういます。

そのような視点から、ヒクソンのように格闘技レベルでも真剣勝負を行ってきた人物の経験や考え方から、学べることは多いです。

3章:文化の継承には強い共同体が必要である

この本からヒクソンの技、精神以外の面で考えたこととして、文化の継承には強い共同体が必要であろう、ということもあります。

そもそも、なぜ世界の格闘技界を席巻するような柔術が数十人程度の一族の中から生まれたのかのでしょうか。それは、グレイシー柔術という特殊な文化を、物心ついたころから家族の中で学ばせ、切磋琢磨し、生涯をその文化(グレイシー柔術)の継承に懸けてきたこと、そして血縁という強い関係性を使って、しっかりと継承させていくことができたためであると思われます。

前述のようにグレイシー一族は家庭の中での男性の役割が強く、親子関係が厳しく、同世代の間でも実力による序列があるという一種の封建的・保守的な文化を残す一族であると思われます(これはヒクソンの世代以降は緩和されていったよううですが)。

現代日本社会では見られないような血縁共同体のあり方ですが、このような強い関係性があったからこそ、文化のレベルが維持、発展させられながらヒクソンにおいて結晶されたのだと思われます。

歴史的に見ると、近代化によってさまざまなレベルの共同体が解体され、現代では企業を中心とした一種の共同体と、核家族という縮小した共同体が社会の中心となっていると捉えられます。近代以前は、血縁、地縁や集落、職能の繋がりなどさまざまな共同体が存在したと思われ、その共同体が文化の蓄積や世代を超えた継承を可能にしたのではないでしょうか。

そのために、様々な共同体の中で多様で質の高い文化が保存されていたのだと考えられます。

しかし、近代化以降は共同体が解体され、世代を超えて文化を継承、発展させていく関係性が少なくなっていきました。そのために、文化の大部分は企業を中心とした経済活動によって生み出される画一的なものに偏向しているのでしょう。

このヒクソンの自伝を読んで、やはり文化の継承、発展のためにはある程度強い関係性を持った共同体が必要ではないかと考えました。確かに、関係性の強い共同体は個々人の思想や行動、選択の自由を拘束する側面があったり、序列化することで女性や子供の自由を奪うなど負の側面もあったでしょう。

そのため、今更昔ながらの共同体を再構築する必要はありませんが、昔ながらの共同体の良かった側面を掬い取ることで、武道組織のあり方を検討することもできるのではないでしょうか。

格闘技ファンにはもちろん、古武道をたしなむ方にも一読をおすすめします。

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