私は地方出身であり、またもともと周囲の環境から情報を受け取りすぎる体質であるため、東京での生活はなかなか疲れるものです。
しかし、周囲から受け取る情報量を意図的に減らすことで、以前よりも疲れにくくなっています。
人ごみの中を歩くとき、通勤電車の中、買い物中など「情報が多すぎて疲れる」と感じている方に、ぜひこのやり方を実践してみていただければと思います。
1章:都会の生活が疲れるのは情報量が多いから
そもそも、都会には情報が多すぎます。
街でも駅でもさまざまな音が勝手に耳に入ってきますし、たくさんの広告からの視覚的な情報も多いです。
しかし、何より情報が多いのは人が多いからです。人ごみでは、たくさんの人を避けて歩かなければならないため感覚を酷使しますし、さまざまな人の声が耳に入ってきます。また、他人はどういう行動をするかわからないため、常に気を張っていなければなりません。
特にまじめな人、神経質な人には都会の環境は疲れるものです。自己中心的な人や、豪胆な人、他人に迷惑をかけることを厭わない人には問題ないのかもしれませんが、、
とにかく、都会には人が多いがゆえに、知らず知らずのうちにたくさんの情報を受け取ってしまい、それがストレスや疲労につながるということです。
2章:情報量を受け取る量はコントロールできる
そこで、情報量を受け取る量をコントロールすることで、ストレス・疲労を減らそう、というのがこの記事の趣旨です。
その方法として一般的には、耳栓やノイズキャンセリングイヤホン、サングラスを使うという方法もあると思いますが、私が行っているのは自分の感覚のみを使う方法です。これは、ある武術道場で学んだ方法を応用したものです。
感覚的なものであるため抽象的な表現になってしまいますが、なんとなくで受け取ってもらえればと思います。
①「スポットライトを当てない」▶入ってくる情報を対象化しない
まず、一番おすすめなのが入ってくる情報を対象化しないということです。
たとえば、駅で人を避けないタイプの人が正面からズンズン迫ってきたとき、あなたはどう反応するでしょうか。
普通は、その相手の存在をその他の人々よりも強く意識し、相手に焦点を当て、相手の動きに気を配るのではないでしょうか。そして、こちらが大きく避けないといけなくなると、嫌な感情も残るかもしれません。それによって、イライラしてしまうこともあるでしょう。
このような一連の意識の仕方が、特定の情報を対象化しているということです。特定の情報にスポットライトをあててクリアに認識している状態、と思っていただければと思います。
私が言いたいのは、これを意識してやらないようにする、ということです。
つまり、ズンズンこちらに歩いてくる人がいても、その人に割く意識を最小限にするということです。
逆に、それ以外の周囲の環境に意識を割いて、全体的に均一に認識するようにしてみましょう。常にこういう状態を保てれば、入ってくる情報を減らすことで疲れにくくなります。
②ぼやっと感じる▶2次元のように認識する、クリアに認識しない
これもある意味①と同じ内容です。
たとえば、視覚に限って言えば、見えている範囲の中の全体を均一に認識することです。つまり、全体的にぼやっと見るようにするということです。
もちろん、仕事中や学校の授業中はある程度焦点を当てる必要がありますが、街中を歩いているとき、本屋で本を探しているとき、駅で乗り換えるときなど、は「ぼやっと」でいた方が疲れにくいです。
ある武術の先生は、これを「2次元のように認識する」と表現していました。また、「昔のゲームのように解像度が低い状態で見る」とも。解像度を下げるように意識することで、全体的にぼやっと感じることができ、入ってくる過剰な情報量の多くの部分を削減できるということです。
私の場合、人ごみでは周囲にいる人を「顔、輪郭、服装、動き、すべてがあいまいな存在」として認識するようにトレーニングしました。人を「影」のように認識する、もっといえば、人ごみ全体が大きな「水流」のように認識する感じです。
こうすることで、自分はその水流の中を動いているだけ、という感じになり疲れません。
③体に入ってくる「感じ」を意識する
これも武術的な内容かもしれませんが、一般の方も慣れたら可能です。
先ほどと同じ例で、前から人を避けようとしない人がズンズン迫ってきたとします。その人からぶつかられたら、あなたはどう感じるでしょうか。たいていの方は、イライラしたり、びっくりしたり、何らかのネガティブな感情を抱くと思います。
このときに、そのネガティブな感情を頭の中でとらえずに、体でとらえる感じを意識してみてください。
たとえば、人からぶつかられたら、そのぶつかられた部分に「嫌な感じ」が残ります。また、ぶつかられなくてもギリギリで避けないといけなくなり、相手の行動にイラっとすることがあると思います。そのときは、また少し違った「嫌な感じ」が体に残るのではないでしょうか。
また、突然人が飛び出してきたとき、前の人の歩く速度が遅く自分のペースとあわないとき、逆に偶然友人と会って楽しい気持ちになったとき、なども特有の「感じ」が体に残ると思います。
私がいいたいのは、頭の中で感情をクリアに感じたり、言語化したり、反芻したりせず、それを体に残る「感じ」としてだけとらえてみようということです。
その「感じ」は、体のどの部分にあるか?温度はどうか?ピリピリするのか、鈍い感じか?など、その状況によって多様であると思います。それをただ感じるようにしましょう。
そして、時間が経つとその「感じ」が減ってくると思います。そうすると、自然にイライラなどの感情も減ってくるはずです。
現代人は頭を使いすぎであるため、このような身体的なものとして感覚を使ってみると、無駄な情報処理が減って疲れなくなります。
④自分の体に意識を向ける
これは一番簡単な方法かもしれません。
人ごみなどで疲れやすい人は、自分の体のセンサーの感度を上げて周囲に張り巡らせているような状態です。そのため、周囲の環境ではなく自分の体に意識を向けると、相対的に周囲から受け取る情報量を減らせます。
③で説明した「感じ」を感じるのもその一つです。
また、そのほかの方法としては、自分の体の一部を意識し続ける、という方法があります。
たとえば「両手がとても重くなる」「両手がとても熱くなる」と認識してみるのも有効です。こうすることで、体のことを意識しやすくなります。
3章:マインドフルネスと近い方法
このような私が行っている方法は、マインドフルネスと近い方法だと思います。
マインドフルネスも、頭の中を流れる特定の思考に焦点を当てず、ただ流れるがままにしておくようなメソッドです。私の場合は、これに身体感覚を組み合わせて行っているのです。これはまさに、武術の世界で昔から行われてきた方法だと思いますが。
あれもこれもやってみる必要はありません。なんとなくわかったかもしれない、できそうかもしれない、というものだけを試してみてもらえればと思います。