読書

山本太郎『感染症と文明』の要約・感想

2021年4月4日

感想

『感染症と文明』を読むと、感染症が単に自然現象として起こるのではない、ということが1つのポイントであることが分かった。

感染症が広がるだけの人口を持った社会、文明が誕生(その最初はメソポタミア文明)してから感染症が拡散するようになった。そして、植民地支配や戦争、開発、奴隷貿易など人類のさまざまな行為によって感染症が発生、拡大してきたこと。また植民地における感染症対策の知見の積み重ねが、感染症対策を発達させたことなどが述べられていた。

また、著者は感染症との「共生」が大事ではないか、と主張している点も印象に残る。感染症は撲滅すべきとか、新型コロナは人類の敵、くらいの論調も最近見られる。しかし、ウイルスは人間の身体の中でしか生きられないため、長期的には重症化するものが淘汰され、軽症のものだけが生き残る。その結果、ウイルスと人間の間に安定した関係が築かれる、というケースもある。

そして、こうした感染症の存在が新たな感染症の発生や拡大の防波堤になる側面もあると考えられる。そのため、感染症を根絶するのではなく共生する道もあるのではないか、と提起されている。

新型コロナは単なる感染症としてだけでなく、社会現象としてこの日本にも多大な影響を与えている。ゆえに、新型コロナにまつわる現象を恨む人も多いと思われる。しかし、人類史的に見ると、このように異なる捉え方もできるのだ、ということに、改めて歴史に学ぶ面白さを感じる。

抜き書き

以下は書き抜きです。太字は私。

「病原体の根絶は、もしかすると、行き過ぎた「適応」といえなくはないだろうか。感染症の根絶は、過去に、感染症に抵抗性を与えた遺伝子を、淘汰に対し中立化する。長期的に見れば、人類に与える影響は無視できないものになる可能性がある。」193頁

同様に、感染症のない社会を作ろうとする努力は、努力すればするほど、破滅的な悲劇の幕開けを準備することになるのかもしれない。大惨事を保全しないためには、「共生」の考え方が必要になる。重要なことは、いつの時代においても、達成された適応は、決して「心地よいとはいえない」妥協の産物で、どんな適応も完全で最終的なものでありえないということを理解することだろう。」(194頁)

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